『知っていますか?AIDSと人権』(屋敷恭一/鮎川葉子:解放出版社)と言う本を読みました。この本はHIVを人権問題と言う切り口で考えてみようと呼び掛ける内容です。その中に、「AIDS問題に対して、私ができることがあるでしょうか?」と言う記事があります。

私にも、あなたにもAIDS問題に対して大したことは出来ないかも知れません。でも、ほんの小さな心遣いなら出来ることがあるはずです。しかし、その小さな心遣いが出来るには意識の問題があります。本の中で筆者は更に問いかけます。

「あなたはHIV感染やエイズ患者のことをまるで自分とは無関係、遠い別世界の話だと思っていませんか?」

こんな警鐘を鳴らす問いかけです。HIVやエイズについての正しい知識、情報を持っているのか。仮に持っていたとしても、それを自分の行動に反映しているのか。この2つを改めて問いかけています。AIDSの問題は私たちのすぐ身近な問題です。

そして、

『あなたもHIVに感染するかも知れないこと、またあなたの周りにHIV感染者がいるかも知れないことをいつも忘れないでください。それが「病気に配慮する」と言うことです。』

と結んでいます。AIDSの人権問題を大げさにとらえなくても、私やあなたの周囲にいるかも知れないHIV感染者、エイズ患者への「病気に配慮」する気持ちがまずは大事だと教えてくれます。

確かに、私自身を振り返ってみても、自分にHIV感染の疑いを持つまでは周囲に対して無神経だったと思います。冗談や軽口のネタとしてHIVやエイズを使っていたこともあります。

友人とのお酒の席で、

「お前そんなヤバイことやってると、エイズになっちまうぞ!」

「うへー、それだけはカンベンしてくれよ!」

例えばこんな会話をしていたように思います。もし、この会話をHIV感染者やエイズ患者が隣で聞いていたとしたら、どんな気持ちでしょうか。私にはそれを想像する思いやりが全く欠けていました。

でも、私には同じような状況で逆の立場になったことがあります。HIV感染と同じとは言えないのですが、私が睡眠時無呼吸症候群で苦しんでいたときのことです。

診察初期の頃、症状の程度を調べるために検査入院をしました。実際に病院のベッドで一晩寝て、無呼吸状態がどの程度かを調べるためです。

夜の9時になると若い女性の看護師さん二人が私のベッドにきて、いろんな器具をセットし始めました。私の体にいっぱいセンサーを取り付け、寝ている状態をモニターするのです。

その取り付け作業をやりながら、二人の看護師は私がそこにいないかのように二人だけの雑談を始めました。初めはたわいない職場話だったのですが、途中から院長先生の悪口になりました。日頃のうっぷんをおしゃべりで晴らしているような雰囲気です。

患者の前で自分が働く病院の院長先生の悪口をしゃべるのもどうかと思いますが、一人の看護師が何気にこんな冗談を言いました。

「うちの院長、あの体型だと無呼吸だったりして?」

「アハハハ、あり得る、あり得る!」

院長先生が太り気味の体型であることを、睡眠時無呼吸症候群ではないかとからかっているのです。その睡眠時無呼吸症候群の患者である私を目の前にして。

私は怒る気持ちを通りこしてあきれ果てました。何と言う無神経、患者のことをこれっぽっちも気遣う優しさもない。いや、優しさと言うレベルじゃなく、常識の問題だ。よくも病気に苦しむ私の目の前で病気を冗談のネタにしてくれたな!

この二人の看護師には医療に従事する資格はまったくありません。最低のヤツらです。本当にぶんなぐってやりたいくらい頭にきました。(実際には思いっきり、にらみつけただけでした。)

でも、ことHIVやエイズに関しては、実は私もこの最低看護師と同じレベルだったかも知れません。いや、同じだったと思います。私は今までエイズを冗談にしていたけど、もしかしたら私のすぐそばにいた人々の中に、HIV感染者やエイズ患者がいたかも知れません。

そのとききっと、私が感じたような怒りや悲しみを感じたに違いありません。いや、私以上に感じたことでしょう。

『知っていますか?AIDSと人権』を読んで、私は何年も前のあのいまいましい記憶を思い出し、そして自分自身もまた誰かに嫌な思いをさせてしまったのでは・・・そう反省したのです。

HIV感染者、エイズ患者に対する偏見や差別は決してなくなってはいません。おおっぴらに公表することなく耐えて生活している人がいるはずです。

HIV、エイズに対して私やあなたが出来ること。それは感染しないように予防すること、うつさないこと。そして、身近にいるかも知れない患者への心配りです。

「いきなりエイズ」を防ぐには、早くHIV検査を受ける以外に方法はありません。⇒ 「HIV検査があなたの命を救います」


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